性美学研究会

現代の性的コンテンツを哲学的に省察してぼちぼち載せるブログ。

少女性愛の心理的分析及び人間の本性的美・甘美・快楽の人類学的考察➀

少女性愛が日本とくに現代ポップカルチャーにおいて広く認知されている要因は何であろうか。少女性愛すなわちЛолита - Lolitaなるものが広く知られた始まりはナボコフの『ロリータ』である。だが、その文学や現代の表象は古来より様々な形で現れた人間心理の普遍的状態である。このことを本考察では述べることにしたい。心理学者は本問題について多くをフロイドの学説としてフェティシズム(fetishism)的な倒錯とするが、宗教学においてフェティシズムは神聖なトーテムや呪物を対象にした心理的志向性である。すると古来よりフェティシズム的なある対象を崇拝し自己のアイデンティティを保とうとする行為は宗教的聖を帯びる。その現代における現れの一つが性としての少女性愛である。では何故古代におけるトーテムや呪物が現代において少女に移り変わったのか。これは少女が持つ間主観的な性質による。〜私はこの性質なるものを客観的な真とは言わないが〜 すなわち少女はその庇護的性格を有する過程に存在し、少女を少女とみなすことが可能な大人にとっては自らより知力や力が劣るものとして存在する。このことはつまり無条件な優位性を持つ。加えて自己の存在する段階より下に存在する少女に対し「書き込み欲求」すなわち「擬似的な自己生産欲求」が生じる。これは教育というものが存在することとも関係する。すなわち自己の内面の知識や思考を相手に教授し自己の内面を相手に投射するということである。この表象はチベット密教における灌頂の儀礼によく現れている。チベット密教やヒンズー密教主に左タントラは阿闍梨(グル)の精液を弟子に飲ませ菩提心を注入する儀礼が存在した。〜現代はヨーグルトで代用されるが〜この様に自己よりも段階が下に存在する対象は自己の内面を描くキャンバスともなる。そして、この対象を私は純粋客体と呼ぶ。何故ならば単なる客体は前提に教授や書き込み欲求が少ないからであり単なる客体であるからである。